最近、美容業界に限らず
「感謝の気持ちをもって」
とか、
「謙虚な心で」
という言葉を目にしたり耳にしたりよくします。
なにごとも、結局はそうなんだと思うんだけど、
その価値感というのは、
いろんな、辛いことや悲しいことをなんとか乗り越えて、
ようやく気付かされるものだと思うのですが、
それが、「モラル」や「倫理」的な言葉として使われているような気がしていて、
ちょっと気になっています。
「感謝」というのは、
まだ38年しか生きてない僕の価値感でいうのもあれですが、
自分以外の人が、
自分のために
なにかしらの自己犠牲を払ってなにかをしてくれたときに生じる感情だと思うし、
「謙虚」というのは
挑戦とは違う意味で、出すぎたり
自己評価が高すぎてりして、失敗したあとに「あ~・・やっぱり必要だな」と
痛感したりするもので、
「これ言っとけば間違いない」的な感じで使う言葉では決してないと思う。
同時に常日頃から持ち続けるというのは、
とても難しいことで、
まして、「モラル」や「倫理」として他人から押し付けられるものではないと思うのです。
自分自身、
自分のためにやってもらったことに気付いてないこと、
気付こうともしなかった時や、
いわゆる調子に乗って、
「生かされてる」感覚が全然理解できてなかったり、
今でも気付いてないだけで、そうするべきところや場面はたくさんあるんじゃないかと思う。
でも、例えば実際に感謝の気持ちを表すとき、
人って、言葉以外の感情が、
(例えば涙ぐんだり流したり、握手の手に力がこもったり)
自然と出てしまっているもので、
自分の中に無いものを自分以外のところから
無理矢理引っ張ってこれる種類の感情でもないと思います。
スタッフにとって仕事場というのは、毎日通勤している店で、いわば日常なわけだけど、
毎日来ていただけるお客さまというのは、
お客さまにとったら、その日は決して日常ではなくワクワクどきどきな特別な日であって、
数ある美容院の中からこの「KaLe」「KALE」を選んできていただけるわけだから、
「めちゃめちゃ感謝」に値するものだし、
スタッフ同志にしても「あんた来て当たり前」ではない。
だからと言って毎日の朝礼で店長やチーフが
「お客さまに、周りに感謝の気持ちを持って・・・・」
というのも、なんとなく押し付けになるし・・。
要するに、
店が「個人」でなく「チーム」として、
毎朝 感じるべきことを感じ、
やるべきことをやるという、
人として「普通」な状態って
どうすればできるんだろう?
長くなりましたが、最近の「問い」です。
多分、個人の意識だけじゃ難しいと思う。
特に、風邪ひいたりしたあとは、
意識が一回リセットされるから、自分だけで意識した習慣は
続かないことが多い。
でも感謝の気持ちと謙虚な心を持った状態は、自分を決して嫌いなわけないし、
技術的にも接客も周りのスタッフに対しても豊かな感覚を持てて、お客さまもスタッフも
幸せな方向に向くと思う。少なくとも「憎しみ」「傲慢」を抱いているよりは。
「考え方」×熱意×能力=実力
どうすれば毎朝
強要や押し付けでなく、
「感謝の気持ち」と「謙虚な心」という
人として「普通」な前向きな状態になれるんだろう?
ここ最近のテーマです。
続く・・・。
高いつもりで低いのは 【教養】
低いつもりで高いのは 【気位】
深いつもりで浅いのは 【知識】
浅いつもりで深いのは 【欲】
厚いつもりで薄いのは 【人情】
薄いつもりで厚いのは 【面の皮】
強いつもりで弱いのは 【根性】
弱いつもりで強いのは 【我】
多いつもりで少ないのは【分別】
少ないつもりで多いのは【無駄】
これは真言宗の智山派の大本山にある 【件(くだん)の十か条】
だそうです。これを目にしたとき、己の傲慢さに気づかされました。
と同時に己を戒めるためにも、この言葉を控えました。
うまく表現できないのですが、一度己を見つめ直して、「謙虚な姿勢」で「感謝の気持ちを持って」
と再び歩き出しても、いつも間にか、それをやっているつもりであったり、その気持ちが薄らいだり
と、原点を見失っているきがします。
「謙虚な心」と「感謝の気持ち」
とは「自分」対「何か」である以上、常に必要だと思います。
僕も前田さん同様、なかなかそれを「自然(=普通)」に行えない事が悲しくもあり、
また、どのように自分の中に吸収し実行したらよいか日々悩みます。
とても感動したので、ついコメントを書いてしまいました
P.Sところで、このブログって過去のログは見れないんでしょうか??
僕の見方がおかしいのでしょうか??これより以前のログを読んでみたいと思ったもので・・・
投稿情報: 薫緒流 | 2009/04/07 16:59