ある特殊なネガティブなシーンにいる人の気持ちって、
想像してしまう。
昨日の落球した開成のセンターの子とか
PK外した駒野とか。
どんな気持ちなんだろう?と想像してしまう。
「俺だったらどうだろう?」と。
そして、「どんな言葉をかければいいだろう?」と。
そのかける言葉や空気感で、傷をひろげてしまいはしないだろうか?と。
その言葉をもらったところで、本人はどうなんだろう?と。
でも、
ハッピーな人の気持ちって、そんなに掘り下げて想像しようとしないよね。人は。
考える必要ないからだろうね。
ハッピーな人は救いだす必要がないから。
でも、ハッピーを演出する立場として、
「気持ち良い」、「ちょうど良い」人の気持ちって言うほどあんまり深く考えてないんちゃう?と言いたい気分です。
俺に。
自分に置き換える深さが、ネガティブなことと比べると、浅いような気がするし、
そこが、美容室がなかなか突き進んでいかない要因だ!と言いたい。
俺に。
美容室に来てくれたお客さんが感じることと、
僕らが良かれと思ってやっていることに、
まだ、とてもギャップがあって、
埋まる方向に行っているものもあるけれど(技術とか)
少し勘違いな部分もあると思うので(満足感とか)。
勘違いの裏に、マニュアルあり。
固定概念あり。
マニュアルに僕らの道を邪魔されているようではだめだ。
既存の概念に流されないで、
想像してみましょう。
ゲストの気持ちいいとか、ちょうどいいとか、安心の気持ち。
コメント
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