美容室が持っている本質的な流れは、
時間をかけて、また、
時間に淘汰されないで今あるものだから、
簡単に否定はできニャイ。
本当に必要ないもの、
役に立たないものは、
あらゆる人の気分や気持ちに、
結局は淘汰されてゆくしね。
ああ、(とりあえず)今自分の目の前にあるもの、
抱きかかえているものを、
一度は肯定しないと・・・
次へ進んではゆけない。
肯定できない人に、
否定はできないのである。
淘汰は自然の摂理だと思う。
淘汰に値するシステムにしがみついていること。
すでになんの役にも立っていない決め事を
ルーティンでこなしていること。
すでに風化しようとしているものに
気づけないことが、本当に危険です!
ウチの場合でいうとー・・
テクニカル・カリキュラムは常にその候補に入っている!
常に触っておくことが必要な部門だけど、
触れば触るほど、情が湧いたり
愛着が湧いたりするから、
「摂理」を支点にして判断しにくいところ。
人の手に職をつけさせる部分だから、
人を知ろうとゆう姿勢、知ろうとゆう好奇心を、
持っていなければいけない。
これはとても大切なことなのだ!
技術が今日や明日、すぐに身につくものではないように、
心も今日明日ではつくられないな~。
それなりの・・・、自分の意識を越えるほどの、
じっくりとした時間がかかるワケです。
技術力とゆう力は、
ある意味身体に無理な負荷をかけて
徐々に作られる。
その負荷に耐えているのは、
心なのだ!
心がついていっていない美容師が、
ポキッと折れやすいのも自然の摂理なら、
カリキュラムが技術だけで独立した部門であること自体が
摂理に反しているのだ!
わかりやすいことは正しい。
そして、
正しいことは、わかりやすい。
とゆう考え方に共感します。
そして、わかりやすさとゆうのは、
お互いが知識を増やしたり、
言葉を知ったりすることで、
広がりと深みを持つと思います。
心がわかりにくいマニュアルやカリキュラムは、
淘汰の対象なのだ。
正しいプロセスは、最初から最後まで、
わかりやすさの雰囲気を放っている。
ムズカシイ・・と感じても、
不審な感じとは違う。
心がついてくるマニュアルを、作ろう!
などと思ってはいない。
心がついてくるわかりやすさ、とゆうのは
そのマニュアルを作った人の
志しの結果なのだ。
常に「わかりやすい」とゆう、
正しさを求めていこう!
とゆうことニャ!
摂理をみつめようとゆうことニャ。
カリキュラム、触ります。
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